どうも、インプロアカデミー講師の忍翔(おしょう)です。
3ヶ月続いた「演技のためのインプロ」ですが、名称を「俳優のためのインプロ」に変更することにしました。これはインプロの持つトレーニングとしての役割を考えた時に、こちらの方が適切だろうと思ったからです。
僕はこれまで様々な俳優トレーニングを世界中で学んできました。スタニスラフスキーシステム、メソッド演技、マイズナーテクニック、マイケル・チェーホフテクニック、ルコックシステム、ベラレーヌシステムなど、それぞれ違った思想を持ちながらも、より良い演技をするための技術を獲得するプロセスを提供しています。
それに対してインプロは、こういったメソッドとは違った体系をしています。先述した俳優トレーニングが山を登るように上へ上へと進んでいくものだとしたら、インプロは世界を旅するように横へ横へと広がっていきます。それは技術を獲得することを目的とするというよりも、様々な経験をすることを目的としていると言えます。
例えば、マイズナー・テクニックであれば、リピテーションから始まって、アクティビティ、シーンワークへと続く道のりがあり、ルコックシステムであれば、ニュートラルマスク、ラーバル、キャラクター、クラウンという順序のカリキュラムがあります。
ですがインプロにはそれはありません。こうやって歩まなければならないというマニュアルはありません。というのは、インプロは概念や宗教のようなものではなく、人との関係性の間に生じるものだからです。つまり「インプロ」という絶対的なものが最初から存在していて、それを学ぶというわけではなく、Aさんとやるインプロ、Bさんとやるインプロ、Cというチームでやるインプロなど、その時の関係性によって変化する交流を、どのようにより良く、そしてより深くしていけるかを探求していくものなのです。
だからインプロは、演技の技術を高めるというより、俳優という存在の質を高めていくものだと思います。もっと言うと人間の質ということなのですが、ジェネラルなところは同僚のうつみくんに任せて、僕はその中でも「俳優」という特殊な人間同士で、この「インプロ」を探求していきたいのです。
「俳優」という漢字はとても奇妙です。「人に非ず」と「人を憂う」が合わさって構成されています。でも僕は言い得て妙な素晴らしい漢字だと思います。
普通の人(俳優に相対して、あえてこういう表現をさせてください)は、人前に立ったり、自分の内側を表現したり、普段の自分じゃない自分を見せることを嫌がります。それは恥ずかしいし、怖いことだからです。でも俳優という生き物はそれを望み、舞台はそれが評価される場所です。まさに「人に非ず」ですね(笑)
また、俳優という生き物は普通の人に比べて感受性が高いです。他者を演じる仕事ですから、他者をなるべく深く理解し、そして自分のこともより深く知ろうとします。そのプロセスで、向き合いたくないと思うところに出会うこともしばしばですが、それでも人間探求をやめません。「人を憂いて」いるのでしょうね。
つまり、俳優という生き物は、普通の人なら行かないであろう領域に足を踏み入れたがる、先の世界を旅するという表現になぞらえると、いわば探検家、ジャーナリストのような存在なのです。時には未知の遺跡や呪われた場所、戦争地域にまで行きたがる。そんな不思議な生き物なのです。
僕はそんな生き物たちとのインプロを探求し続けて早13年になります。その中でわかったことは、俳優はもっともっと自由になりたいんじゃないかということです。
彼ら彼女らは未知を愛しますが、どこか踏み込み切れていない部分もあるのです。そしてそれを邪魔するのはいつも自分自身です。自分に対するジャッジ(これは間違ってるんじゃないか、正しくやらなきゃ)や、評価への憧れ(うまくやりたい、面白くやらなきゃ)などが、自分に二の足を踏ませるのです。
僕のクラスでは、俳優が自分自身を解放し、より自由に生き生きと表現出来るようになれる体験を提供します。それは先述したような学びやトレーニングを通してではありません。遊びです。良い旅をすると、家に帰った時になんだか違った感覚が得られるような、あんな感じです。その旅の最中「学ぼう!」「良くなろう!」などとは思っていないはずです。ただ遊んで楽しんで経験する。それだけで人は変われるのです。
演技だけではなく、俳優としての在り方を変える旅に、一緒に出かけてみませんか?