「十牛図」から考えるインプロの成長

インプロの成長を描写するのは難しいものです。なぜなら、それは「手に入れる」というよりも「手放す」学びだからです。

また、人によって学びが違うのも特徴です。ある人は「まわりの目を気にしないことが大事だと分かった」と言い、ある人は「もっと相手を見ることが大事だと分かった」と言ったりします。そしてその両方が正しいことがあります。スタート地点が違ければ、向かう方向が違うのも当然のことです。

しかし「なるようになる」と言うのも不親切です。そこでここでは「十牛図」を参考にインプロの学びを描写してみようと思います。十牛図とは、禅において悟りに至る過程を描いた十の図です。「真の自己」が牛の姿に、真の自己を求める自己は牧人の姿で描かれています。(十牛図の説明はWikipediaより。)

インプロも禅も手放す学びなので、学びの過程は近いところがあります。そもそも、インプロの父であるキース・ジョンストンは東洋思想に強く影響を受けています。

それでは旅が始まります。あなたはどの段階でしょうか?

1. 尋牛

仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。

インプロでは、そもそもの考え方を誤解している段階です。「面白いことを言わなきゃ」「うまくやらなきゃ」とエゴで一杯になっているので、どう頑張っても(むしろ頑張れば頑張るほど)いい状態に近づけません。

2. 見跡

経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。

インプロでは、「がんばらない」「起こるべきことは自然と起こる」といった考え方を頭では理解した段階です。しかし実際に体験はしていないので、分かったつもりになったり、半信半疑になったりします。

3. 見牛

行においてその牛を身上に実地に見た境位。

インプロでは「一瞬うまくいった」段階です。それは多くの人にとって衝撃的で、同時に気持ちがいい体験です。しかし自分では全くコントロールできません。早い人はインプロ体験会でここまで行きます。

4. 得牛

牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。

一瞬うまくいった体験の再現を求め、改めて学んでいく段階です。しかし「再現しよう」とすると再現できないのがインプロなので、逆に状態が悪くなったりします。手に入れようとしたり、手放したり、試行錯誤が続きます。多くの人はここで「初心者のときのほうが面白かったのでは」「インプロが分からなくなった」と感じますが、実際には成長しています。

ここからインプロの学びを生活に活かすことができるようになります。ただしこの段階では意識的なもので、活かそうと思えば活かせるが、忘れると活かせない状態です。

インプロ基礎コースはこの段階をトレーニングします。時間がかかる段階なので、継続して学ぶことが必要です。また、ここで幅広く学んでおくと、5. 牧牛以降の学びに広がりが生まれます。逆に狭く学んでいると、5. 牧牛より先に進むのが難しくなると思います(ひとつのスタイルのインプロしかできないと、どこかで行き詰まります。)

5. 牧牛

本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。

「分かる」「分からない」を超えて、インプロが少しずつ「できる」ようになっていく段階です。前よりもインプロが楽に楽しくできるようになり、パフォーマンスも安定してきます。まわりからも「上手だね」「いいインプロバイザーだね」と言われることが出てきます。

ここまで来るとインプロの学びが生活に漏れ出すようになっています。生きることが楽に楽しくなってきます。

3日間インプロワークショップはこの段階を目指すものです(1回では難しいので、複数回で)。そしてここまで行けばどこでもインプロができるでしょう。英語ができれば海外でもインプロができます。

6. 騎牛帰家

心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。

インプロが自然とできるようになっている段階です。子供が遊ぶようにインプロができます。また、新しいインプロの探究もしているかもしれません。

ここまで来るとインプロの学びを活かそうとする必要もなく、すでに生き方になっているでしょう。人生を切り拓く生き方をしています。

僕はここくらいだと思います。(調子が良ければさらに7. 忘牛存人まで行って、悪いと4. 得牛まで戻ることもある)。

7. 忘牛存人

家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる

インプロの考え方がすでに当たり前になっています。いわゆる「インプロ」に囚われることはなく、「何を創造するか」に興味が向かっています。

趣味やパフォーマンスとして続けたい人は別として、もう学びとしてのインプロは必要ないでしょう。

8. 人牛倶忘

牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。

僕もここまでは行っていないのでちょっと分かりません。もしかすると晩年のキース・ジョンストンはこんな感覚だったのかもしれない、と思います。ただ見て、ただ必要なことが分かる。そしてそれに囚われることもない状態です。

9. 返本還源

何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。

僕もここまでは行っていないのでちょっと分かりません。もうインプロはあまり関係ない世界かも、と思ったりします。

10. 入鄽垂手

悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。

インプロの学びをシェアしていく段階です。ただし、インプロの場合はもっと早くから教えることが多いです。世界を見ても、教えながら学んできたインプロバイザーがほとんどです。

4. 得牛の段階から学びのシェア(自主稽古のようなもの)はできるでしょう。プロとして教え始められるのは5. 牧牛からです。6. 騎牛帰家になれば一人前、7. 忘牛存人まで行けば世界レベルです。8. 人牛倶忘以降になると、自分にとって当たり前すぎて、逆に教えるのが難しくなるかもしれません(教えるというよりも、共にいて気づいてもらうような形になるでしょう)。

以上、インプロの成長を十牛図で描いてきました。人によってはうまく当てはまらない人もいたり、「インプロ的には6. 騎牛帰家だけど、生活的には4. 得牛(またはその逆)」といった人もいるかもしれません。いずれにせよ、何かの参考になっていれば幸いです。

東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は、海外を含む100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において1000回を超えるワークショップを開催している。NHK『あさイチ』出演。共著書『インプロ教育の探究』
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